「君さあ、仕事舐めてるの?就活舐めてるの!?そんなんじゃ仕事なんてできないよ?」
面接室に冷たい言葉が響く。
そう、僕は就活を舐めていた。
実を言うと、僕は就活を2度している。
1度目は大学3-4年生の時、2度目は大学院1-2年生の時だ。
なぜ2度したかというと、仕事が決まらなかったとかではなくて、全て2度目の就活のため。
もともと大学院に行くというのはかなり早い段階で決めていた。大学院というところは勉強が忙しいと聞いていたし、そこでたくさん勉強したいと思っていた。
だから大学院で就活に命かけるなんてことはしたくなくて、なるべく効率的に就活したいと思ったのだ。
そこで僕は大学3年生の時に、一体就活とはどんなものなのかを知りたくて、とりあえず1つ内定が出るまではやってみようと思った。
傾向と対策ってやつだ。
結果として、日本に住んでいれば誰でも知っているような会社から内定をもらうことができた。
そして唯一内定をもらった会社から、僕は圧迫面接を受けた。
圧迫面接をするような勘違いした会社に入る理由なんて万に一つもないのだが、これから面接を受ける就活生は、参考にしてもいいかもしれない。
僕と同じことをして切り抜けられるかもしれないし、切り抜けられないかもしれない。
そこは自己責任の範囲であることを予め言っておく。
当時の就活事情とはどんなものだったか
はじめに背景という意味で、当時の就活事情を話しておく。
採用を絞っている時期だった
当時はリーマンショック直後で、影響が一番各社の採用に響いていた頃だ。どの企業も軒並み採用を絞っていた。
今、世間で問題になっている人手不足とは対極にある状況と言っていい。企業優位の労働市場だった。
「内定切り」などという常人には到底理解できないことを平気でやってのける会社も多くいた。
就活は厳しいもので、僕の数少ない友人たちも毎日毎日就活に明け暮れていた。
まさに就活に命かけてる時期だったのだ。
ゆとりが就活をする
もう1つあったのが、ゆとり世代が就活を始めた時期だということだ。
僕もご多分にもれず、ゆとり世代だ。
ゆとりの第一世代ともいうべき年の生まれで、今思うとどの企業の採用担当者も「ゆとり対策」を講じていたのかもしれない。
ストレス耐性がなく、怒るとすぐに仕事を辞めてしまう若者をどう扱うかに手を焼いていたものと思われる。
当時は、「七五三」という言葉もよく聞いた。
今も「辞めない優秀な学生をとれ!」のような訳のわからないことを採用の目標に掲げているとネットなんかでは見かけるが、どうやら企業は僕が大学3年生の時からずっと同じことを言っているようだ。
ただそこに、「買い手市場」という要素が加わると、圧迫面接のような人をバカにしたことをする企業が出てくるのかもしれない。
僕の1度目の就職活動
みんなが就活に命かけてる時に、生半可な気持ちで就活している不届者が、そこにいた。
当時の僕はまさにダメな就活生の典型で、
「とりあえず大手から内定もらえればいいっしょ!」
くらいに考えていた。
とりあえず聞いたことのある会社を適当に調べて、適当に説明会とかインターンみたいなものに参加して、適当に採用試験を受けていた、とにかく適当なヤツだったのだ。
大学院入試と並行していたので、「学業に支障のない範囲で」を地で行っていた。社会科見学にいくような気分だったのを覚えている。
何事に関しても言えるが、僕は物事に対していつも冷めた目で見てしまう。決してバカにしているのではなく、熱中するということができないのだ。その態度が、就活にも出てしまっていたのかもしれない。
都市伝説と思われた圧迫面接に遭遇した時
前振りが長くなったが、本題に入ろう。
その会社は採用ステップが5つあったと記憶している。
一次面接、二次面接、グループディスカッション、三次面接、そして最終面接だ。
今考えてもかなりの回数だと思う。
事が起きたのは三次面接だ。三次面接は1対1の個人面接だった(集団面接のような衆人観衆の前で圧迫されるということはさすがに少ないだろうか)。
部屋に入ると、見るからに機嫌の悪そうなおっさんが、そこにいた。
面接で聞かれたことは少なかった。なぜならほとんどずっとおっさんがキレてたからだ。志望動機と希望職種しか話した記憶がない。
志望動機はちゃんと言えたが、職種の方でつまづいた。僕は「なんでその職種がいいんですか?」にうまく答えられなかった。
なぜか職種を希望順に順位をつけなければいけなかったのだが、それをうまく説明できなかった。当時の僕が一言言い訳をさせてもらうとすれば、HPにもパンフレットにも職種についての記載がない上に、説明会でもそんな説明なかったのだ。
冒頭に書いたように、仕事を舐めてるとか、就活を舐めているとか、そんなことでは社会人としてやっていけないだとか、一通りのお説教と罵りを受けた。
こ、これが世に聞く圧迫面接かーっ!
と初めはなぜか興奮を覚えたが、すぐに飽きた。そもそもこのおっさんは僕が部屋に入る前から機嫌が悪いのだ。僕が何かしたところで事態が好転するとも思えないし、「ストレス耐性を測る」とか適当なことを言って、ただ憂さ晴らししたいだけのかわいそうなおっさんなのだ。まともに取り合っていても仕方ないと思った。
そう思うと途端に虚しくなって、僕はおっさんの罵倒をBGMに、頭の中で夜のバイトのシフトを確認し始めたことを覚えている。当時は、バイトを変えたばかりで忙しかったのだ。
圧迫面接を乗り切ったパワーフレーズ
おっさんのお説教がどれくらい続いたのかはよく覚えていない。おっさんは一通り話しを終えると、「ふうっ」と1言息を吐いて言った。
「面接は以上です。本日はお疲れ様でした。」
ああ、これで終わりか。
就活を舐めていたこちらも悪いが、学生をストレスのはけ口にするような会社にはこちらから願い下げだった。
それでも、「とりあえず大手から内定もらえばいいっしょ!」の精神で内定を狙っていた僕としては、割といいところまで行ったのに何も教訓を得ないまま引き下がる訳にもいかないと思った。このままでは、2度目の本番の就活に支障が出てしまう。
その時、突如1つのアイディアが去来した。
椅子から立ち上がり、カバンとコートを持った僕は、ドアではなくおっさんの方に歩いて行った。おっさんは一瞬ビビっていた。殴られるとでも思ったのだろうか。
その時に僕が言ったことは、今となっては一言一句ハッキリとは覚えていないのだが、以下の趣旨のことを「ハキハキ」と言って、そして頭を下げた。
「今日はご指導頂きありがとうございました。しっかりと考えてこなかったことを反省しています。ご指摘いただいたことを踏まえて次回の面接までには考えてきますので、もう1度だけチャンスをください。」
お礼と、反省しているということをまず伝えてみた。そして、次回が最終面接だということをしっかりわかっておきながら、面接を通してくれとストレートに頼んだ。
仮にもストレス耐性を図るための圧迫面接なら、しっかりと誠意を見せれば通るのではないかと踏んだのだ。第一、面と向かって頼まれたら断りづらいだろう。そこの浅い、打算的な方法だった。
おっさんはちょっとうろたえながらも「はい、わかりました。本日はお疲れ様でした。」と言って僕をドアへと促した。
本当にわかったんだろうな!?と思ったが、実際面接は通った。
最終面接は「自ら課した宿題」についてみっちり聞かれたが、それが聞かれることは容易に想像がついたので問題なく通った。対策が練られたぶん、逆に楽だったとも言える。内定は断った。
まとめ
社会人になって数年が経つが、今でも圧迫面接をするような会社は信用ならないと思う。
それでも心底行きたいと思っていた企業が圧迫面接をしてくるかもしれない。圧迫面接は天災のようなものなのかもしれない。
説教だけでいたずらに時間が過ぎ、「ああ、このままじゃ落ちてしまう。でもこのまま終わるわけにはいかない。」と思ったら、最後に面接を通してくれと直球を投げ込んでみるのもいいかもしれない。
人間、真剣に頼まれたらなかなか断りづらいものだ。但し、上に書いたようにただ頼むのではなく、しっかり反省の姿勢を見せること、自らに課題を課すことも大切なポイントだったのではないだろうか。ただの内定乞食ではさすがに厳しいだろう。
僕が圧迫面接を受けたのは後にも先にもこの1度だけだし、この方法を試した他の人の話も聞いたことはない。だから僕が実践した方法は、圧迫面接のセオリーではないので勘違いしないでほしい。
余談だが、なぜ圧迫面接などするような企業が未だにあるのだろうか。見ての通り、僕にはストレス耐性はあったかもしれないが、誠意はこれっぽっちもなかったのだ。そして僕はその会社の製品は未来永劫買わないと心に決めている。ファンを失ってまでする圧迫面接に意味があったのだろうか。未だにそれはよくわからない。
ではでは。